私が故郷八鹿町を後にして半世紀を超えた。今では古い家だけが残る実家となってしまったが、年に数回は帰省している。家は八木川右岸の養父市役所の南隣に位置し、市役所は中学校であった。北側には八木川が流れ、その川原は子供達の格好の遊び場。水遊びや魚釣りなどで四季を通じて楽しんだ。

特筆すべきは、対岸の白壁と焼き杉板で建てられた酒造と赤煉瓦造りの代表銘柄である「山陰美人」と書かれた煙突がある造り酒屋である。現在は廃棄されているが、私が子供だった昭和30年代は現役の酒造として稼働しており、時おり洗浄された大きな仕込み樽が、南側の川原に向けて天日干しされていた記憶がある。その社名「(有)養父郡酒造」は明治以降に名付けられたものであろうが、酒造としての創業は元禄13年(西暦1700年)というから約300年の歴史があったようである。

写真は、市役所の少し下流側から妙見山を望む方向で今年9月に撮影したものである。酒蔵跡と「山陰美人」の煙突を取り巻く家並みは昭和の時代からほとんど代わっていない。私にとってこの眺望が最も故郷を感じる風景である。

こうした郷愁を感じさせる「うだつ」の有る街並みや歴史的建造物などは、外観を保つための補強を施し、例えば「ギャラリー」や「地産地消レストラン」など人々が集い憩える空間として「街興し」に活用していただき、「故郷に帰ってきた」と実感できる風景とともに出来る限り保存して欲しいものである。

関西養父市会役員
島田広昭


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